昨年の12月にチケットが切れてしまう…
という事で今回は滋賀県の比叡山延暦寺に行ってきました。
延暦寺は過去に何度も足を運んだ事があり場所で
奥の方まで徒歩でいきましたが
ところどころが素晴らしい磁場の場所です。
この日は動かしたいのになかなか動かない物事があったり
意識の変化の前によく起こる「リアルな大量の夢」も続き
また反抗期でやりたくない病が出てきて、グロッキーな数日が続いて頃。
大量の夢はスペクトロライトが届いてから
ほとんど見ないか、見ても気にならない夢になりました。
モヤモヤ感が取れない日が続いたので
気持ちが悪いほどスッキリせず、しかも夢にまで出てくる始末です。
きっとここで取れるのだろうと行ってきました。
場所を決めたのは彼です。
+++
比叡山に着くとチラホラと雪…。
標高848mは下と気温がまるで違います。
手袋を持っていないと撮影中は凍えて手が痛くなるほど寒い…。

延暦寺の入り口は人が入ってしまったので、アップナシ。
休憩所にたくさんの人が折った千羽鶴。
延暦寺は世界の平和や平安を祈る寺院です。

総本堂「根本本堂」
本尊は薬師如来です。
開基は最澄。
比叡山は古代から山岳信仰の山で、地主神は「大山咋神」です。
大山咋神は「大山に杭を打つ神」
大きな山の所有者の神であるという事です。
現在は延暦寺の麓にある「日吉大社」(全国の日枝神社の総本社)で
祀られています。

彼がフラフラと魅かれて入っていった所に
ひっそりとたたずむ「星峰稲荷」。
ここはあまり観光客が来ない場所で
稲荷でも「茶枳尼天(だきにてん)」が祀られていました。

とにかく寒い!
文殊楼(建立/円仁)
久しぶりにここの中にも入りました。
文殊菩薩がまつられていている場所で、
何度か焼失して再建されました。

大講堂の前の鐘。
一般の人も50円で鐘を突く事ができます。

大講堂(重要文化財)
僧侶が学問の研鑽のため論議する道場です。

阿弥陀堂(右)と法華総持院東塔(ほっけそうじいんとうどう)(左)
法華総持院東塔は最初は最澄が建立し、
全国6か所の宝塔を総括する宝塔でです。
しかし当時強力な勢力として存在していた延暦寺が
「『天下布武』を目指す織田信長には武家勢力も障害ですが
寺社勢力も信長にとって「邪魔」な存在。
比叡山征伐の準備は羽柴秀吉(豊臣秀吉)にも命じ、協力をさせ
姉川から朝妻に至る交通を海陸ともに遮断させ
その当時、追いつめられ不利な戦況であった信長は
信長は延暦寺で修業をしている宗徒を根絶やしにするつもりでした。
根本中堂から400〜500あったという堂塔坊舎の全てに火がかけられ
徹底的な破壊と殺戮をするつもりだった信長は
当時の延暦寺一体の全てに火で燃やされ、死体で埋め尽くされたそうです。
武将として有名な織田信長は生きた時代が戦乱だったため
日常が戦いだったのでしょうね。
とか思いつつ気になったので調べていたら違う説も→コチラ

((((ΘωΘ)))氷ついてました。。。

水琴窟
水の音が澄み渡るような音色でした。

戒壇院(かいだんいん)
サイズの参考に見知らぬ男性を配置しております。

出家して、ここで受戒してから僧として認められます。
戒壇院は「戒律」を受ける場所で重要な場所とされています。

戒壇院の近くにあった木製の灯籠
横は太陽の形。

延暦寺所有の消防車
山の上にある延暦寺は、
広い範囲で木造の古い重要文化財の建物が多く
火災が起きた時、一般の消防車を待つ時間など無いのでしょう。

最後にケーブルカーの延暦寺駅前から
滋賀県と琵琶湖の風景です。
めちゃくちゃ寒い日で、シャトルバスも出ていないため
東塔付近でこの日はお終いです。
ずっと残っていた重いモヤモヤ感は
予想どおり延暦寺内の撮影中に消え失せました。
来年から色々と動かさないといけない事で、モヤモヤしてました。
…妖怪化した2名の強烈な負の思念とかも
来てましたけど、年末年始は毎年強烈ですが
たまに強烈なのが一瞬くるものの、とても平和です。
(^ω^)対・妖怪用のブレスは少し疲労してたので
天気が良い日に休憩させました。
2月、3月は特に妖怪らが孤独と憎悪に拍車がかかる時期ですから、
いろいろ酷い思念が来ては返球していました。
+++
先日、友人から嬉しい贈り物が届きました。

寒い時期、朝から温かい紅茶やショウガ湯を飲んでいるので
お茶の減りが激しくなっていたところでした。
ありがとうございます((((*´ω`*))))ぷるぷる
2015/02/20(金) | ★滋賀 | トラックバック(0) | コメント(2)